私ってば何気に甘え下手なのです。
今回わたくしは、ここ最近起こった色々によって生じる自分の中のモヤモヤやうじうじを、一人静かに見つめる、というかなり高度な技を持って取り扱ってみようとと試みてたのです。
が、
どうもなかなか過ぎ去ってくれない。
過ぎ去るどころか頭の中でそれはどんどん膨らんで、かなりの場所を占拠するくらいの勢いで、、、。
うーーむ。
どうしたものかな、と若干弱りかけてたその時に、
その巨大化された思考の渦を聞いてもらえる機会に恵まれました。
そしたら地面に出てピチピチ跳ねてた魚がやっと水に浸かったかのように、出てくる出てくる。
私は完全にそれを受け取ったし、それによって覚醒した。
その波動をちゃんと感じてるし、それだけで十分至福な瞬間なんだけど、でも同時にもっとダイレクトに触れてみたいとも思ってる。
形になるものだけが真実じゃないです。
なのにどこかで形になったものを確認したいと思ってる。
これぞ欲望ってやつですね。
人間たるが所以です。
ひとつひとつ削ぎ落とされて、冷静になればなるほど欲望の輪郭がくっきりと浮き彫りになる。
現状把握と欲望のひしめき合い。。
さてこれからどうなっていくのか。
さすがにこれで、はい、おしまいって事にはならないのではないかと思うのです。
]]>例えば小さい頃に、この「怒り」という感情に極端に嫌な思いをしていたら・・・
父親がいつも怒鳴ったり、機嫌が悪かったりすると、
子供達はいつもこの「怒り」という感情に恐怖を感じています。
そして、心の中では「怒り」という感情が誰かを傷つけたり、
脅かしたりするものだと認識しても、おかしい事ではありません。
そうすると、この人を傷つける「怒り」という感情を、
自分自身が感じることを極度に抑圧してしまいます。
「怒り」を表現する父親を心のどこかで批判していて、
自分も「怒り」を感じることが、いけないことだったり、
情けないことだと感じて、自分の中で強く禁止してしまうのですね。
私達が過去において、自分の周囲の人の感情表現で嫌な思い繰り返してくると、
極端にその感情をも嫌ってしまいます。
そうすると自分の中の自然な感情をも、抑圧してしまいます。