ura chocotto nikki

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映画評
梅雨が明けたそうで。

久しぶりにゆっくりな朝。

なんかゆっくりをゆっくり堪能し切れてない感じもしますが。

ずっと動いてたからね。

楽しかったな。


で、昨日の夜見た映画はいまいち。

その映画のコメントに「久しぶりに号泣しました」って書いてあったんだけどな。

どうもストーリーの良さとか分かりやすさとか以上に映像とかカメラワークとか音とか感覚に訴えかけるものを求めてるんだな、と。

もっとどっぷりガッツリ内面をどん欲に表現して欲しいの。

なんて、じぶんが映画に求めてるものがなんなのかを確認。


さ、梅でも干そうかな〜


で、桃を食べよう。


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景色


ぜいはー言いながら坂道を登って、

どうにか開けたところに到着して、

はぁーって寝っ転がって、

息を整えるのに結構時間がかかって、

やっとの事で体を起こして、

周りの景色を見渡してみたら、

おおーこんな素晴らしいとこにいたんだぁ。


って気分。


そして、ずっと反省してたい気分。


- comments(0) trackbacks(0) さとうさちこ
自己満足

自問自答と反省を繰り返す。

自分の思い込みにどこまでメスを入れられるか。

どこまでが欲でどこまでが愛なのか。

とか。


で、どっと疲れる。


結局この自問自答も自己満足なんだろうな。


神様、もうちょっと穏やかなメッセージの送り方してください。


ハードなやりとりはもうかなり満喫しました。


とかいってこの打ちのめされ感を求めてるのは私なのかも。


確かにちょっとやそっとじゃ打ちのめされなくなってるしね。

まぞ?



この後にエネルギーが満ちて来るのも分かってる。


あと少し。
chocotto nikki comments(0) trackbacks(0) さとうさちこ
愛想笑い
愛想笑いが嫌いだったんだなぁとふと思う。

母親が社交性の高い人(と言っておく)で内の顔と外の顔があったからだと思う。

他人に見せる顔と私に見せる顔の極端な違い。

子供の頃の私はそこに相当な嫌悪を抱いてたんだろうなぁ。


こんな記事を読みました。


例えば小さい頃に、この「怒り」という感情に極端に嫌な思いをしていたら・・・

 父親がいつも怒鳴ったり、機嫌が悪かったりすると、
 子供達はいつもこの「怒り」という感情に恐怖を感じています。

 そして、心の中では「怒り」という感情が誰かを傷つけたり、
 脅かしたりするものだと認識しても、おかしい事ではありません。

 そうすると、この人を傷つける「怒り」という感情を、
 自分自身が感じることを極度に抑圧してしまいます。

 「怒り」を表現する父親を心のどこかで批判していて、
 自分も「怒り」を感じることが、いけないことだったり、
 情けないことだと感じて、自分の中で強く禁止してしまうのですね。

私達が過去において、自分の周囲の人の感情表現で嫌な思い繰り返してくると、
極端にその感情をも嫌ってしまいます。
そうすると自分の中の自然な感情をも、抑圧してしまいます。


これを愛想笑いと嫌悪感に置き換えてみると、なるほどそういうことだったんだなぁと。

だから私は愛想笑いに対して人より複雑な感情を抱えてきたのだなぁと。


的な事がきっと私以外の人にもたくさんあって、

みんな子供の頃の嫌悪感や心の傷や深い悲しみなどが複雑に絡み合ったものを抱えてて、

さらに誰かと深い関係性になるとそういった相手の抱える複雑な感情と自分の複雑な感情が合わさって・・・・


と書いてるだけでどっと疲労感が・・・(笑)




だから一人って楽ちん。


でもだからそこ挑戦したくなる。

そういった幾多の困難を愛と勇気で乗り切って2人で幸せ♡と言える関係性を築く事。



で、そのチャレンジに何よりも大切なのは自分の正直な気持ちを誠実に相手に伝え続ける事だと思う。

ポイントは感情的にならないようにってとこ。


いや、難しいですよ。




自分の内側をしっかりみつめて。

自分が心の底からの正直を見つけてそれを伝える。




で、相手が受け取ってくれなければ諦める。




とてもシンプル。

chocotto nikki comments(0) trackbacks(0) さとうさちこ
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