観念解消期の幕開け |
2015.01.29 Thursday 23:08 |
なんだか久しぶりですね。
見捨てずに覗きに来てくれてる人ありがとうございます。
去年の11月から認知症のママと一緒に住み始めて、怒涛の日々を送ってるのですが、
とっても大変です(笑)
何が大変かって言うと、、、
次から次へと自分の観念が発掘されるということ。
観念っていうのはつまり「これはこうでなきゃいけない」っていう決めつけで、
そういった決めつけが多ければ多いほど争いが生まれるわけです。
まぁ要は腹が立つわけです。
ちょっと何言っちゃってんの?目玉焼きには醤油でしょ?ケチャップなんて信じられない!
と、卵戦争が勃発するわけです。
宗教戦争だろうが朝の卵戦争だろうがまぁどちらも元(自分が正しくて相手が間違ってるって思ってること)は一緒です。
話がずれてきましたが、そもそも認知症の人に観念は通用しません。
箸置きは箸を置くものと当たり前のように思ってても、ママにしてみたらそれが美味しいそうに見えたら(果たして美味しそうだからなのかは分かりませんが)箸置きを箸でつまんで食べようとしちゃうわけです。
手の込んだ料理を頑張って作ったところで、自分の好みでなければちょっと食べただけでもういらないって言われちゃうのです。
ねぇねぇ、この料理は私が手間ひまかけてママのために作ったんだからもう少しぐらい食べてくれたっていいんじゃない?なんてことを言ったところで(もちろんそんなこと言いませんけど)そんなことはママからしたら知ったことではないのです。
お陰で、ちょっとぉ目玉焼きには醤油でしょ〜的なことは、それは私にとっての常識であって、他の人には当てはまらないんだってことを日々これでもかと再確認させられるのです。
てことで、これはとってもありがたい話なんです。
どんどん人にも自分にも優しくなれる。
だって目玉焼きにはリンゴジャムだよねって言われても、そうか、あなたはそうなのね。
ですむから。
しかも他の人がみんなリンゴジャムなのに私は醤油ってどうなの?
私どうなの?
私変なの?
的な自分攻撃もしなくて済むし。
しかし。
観念のやっかいなところは、それが観念と気づかせずに観念を発動させちゃってるってところです。
なんかひっかかる、とかなんかイラッとくる、とかはたまたそんなの我慢できなーい!!なんてことは大なり小なりの観念が故にそうなってるのですが、
中にはなかなかそれが観念だと気づかない、あるいは気づきたくない、だからもう目をつむっちゃうっていう観念があるのです。
だってその観念が観念だってことになったら今までのことは何だったの!!あんな事やこんなことが全部間違ってたってことになるじゃない〜〜〜〜
と(か何とか言って)過去の私が必死にその観念にしがみつくのです。
もうね。
それが大変。
頭でわかってても言うこと聞いてくれないんです。
だって辛いの〜辛いの〜ってわかってるけど辛いの〜〜〜
怖いの怖いの〜〜〜
それを観念だって認めるのが怖いの〜〜〜〜
ってさ。
そこしがみつかずにさっさと手放しちゃおうよ。だってそのほうが楽になるし手放したところで何も失わないんだからさ、って半分呆れ顔のもう一人の私が言ったところで、頑なに首をブンブンふるんです。
なんていうか、眠りにつく前のぐずってる赤ん坊みたいな。
そんなんなるなら寝ちゃえばいいのに、、、
って何度思ったか分かりません。
でもこれはしかたのないことなんでしょうね。
原子レベルでそういったシステムになってるのかもしれないしね(って思わないとやってられないし)。
だからママとの生活はある意味とってもありがたくて(そういった無用の観念が次々と抜けてってくれるから)、辛い(抜ける前にはかならずいやいや〜〜〜ってなるから)毎日なのです。
嵐が来て、嵐が去って、ふーーーってなって、おおお〜〜♡ってなって、ん?ってなって、む〜んってなって、また嵐が来るのです。
それにしてもいったいどんだけあるんだろ。
この観念ってのは。
この調子で観念解消の回転数が上がっていったら今生でのテレポーテーションも夢ではないかも。
楽しみ。